人生好転 因果応報の法則は厳然と存在する。人生は前世・現世・来世と続いていく。

世間に知られても、誰にも知られずとも、良い行いには「果」が、悪い行いには「苦」が与えられます。この世で何も悪い事をしていないのに、苦しみばかり…という方は恐らく前世の行いの影響が強いのではないでしょうか?前世で人の命を奪ったり、人や世の中を苦しめる行いをしたならば、この世では様々な「苦」が与えられ、前世で沢山の人の命を救ったり、世の中に役立つ行いをした方は、この世では沢山の喜び事を経験する…そういう法則が厳然とあると感じます。前世で自分がどんな行いをしてきたかは、誰にもわかりません。しかしこの世に生まれてきてからこれまでに、身の上に起こった出来事や家族を含めた人間関係、能力、心身の状態で推し量る事が出来ると思います。しかし「苦」が多い人生だとしても、腐らずに受け止めなければいけません。原因は自分にあるのです。この世は前世の行いに対して与えられた宿題をこなす場所なのだと思います。苦を経験し悩み苦しむ事で前世の罪を少しづつ償い、人の痛みを理解し人間として成長する事を神様が期待しているのかも知れません。苦しみが多い人生だからと言って、周囲に八つ当たりなどしてはいけません。また新しい罪を作ってしまいます。苦しみ多い人生ならば、自分をなだめて耐え忍び、世のため人のためになる行いを積み重ねて前世の罪を償いながら生きていくのが、人として本当の道なのかも知れません。容姿美しく、才能高く生まれ、仲間に恵まれている方は、おそらく前世で世の中のためになる事を沢山してきたのではないでしょうか。自分はそんな人とは程遠い…と思っている方でも、この世で新しい罪を作らず、世の中のためになる行いを積み重ねていけば、現世でも少しづつ何処かが楽になり、来世、来来世と運命は好転していくでしょう。少しでも苦しみを減らして、「果」を多く受け取れる喜び多い人生にしたいですね。私は宗教家ではありません。また自分の前世がどうだったのか知る術はありません。このような考えに至ったのには理由があります。私は色々な苦しみをとことん味わってきました。更に、前向きに努力しようとすると目の前に遮断器が下りるように、努力するチャンスさえ奪われてきました。良かれと思ってした事が悪く取られたり、いじめられたり、悪い評判を流されたり、悲しい出来事が重なったり、収入を得るのに多大な苦労をしたり…。どうやってこの状況を改善すればいいのかがわかりませんでした。いつかは自分も人並みの人生を歩めるはずだ、こんなに真面目に頑張っているんだもの…そう思っていました。でもやっぱり何も変わりませんでした。どうすればこの苦しみから抜け出せるのか、必死にもがきました。生きている間は何も変わらないのかも知れない…と思った事もありました。過去を振り返り、一つ言える事は、悪い事はしない、他人をいじめない、仕事や勉強を真面目に頑張るなど、消極的な行動では何十年経っても何も改善しないという事。運命を好転させるには積極的に他者や世の中に奉仕する事が必要だったのです。ある程度の徳がある方は、わざわざ徳積みを意識しなくても、日常生活の中で他者に尽くしたり、世の中のためになる事をして自然に徳積みが出来ていますが、本当に徳がない方は意識して無料の奉仕や寄付をしないと徳積みをする機会がありません。私は数年前から毎月一定額を寄付していますが、実行するまで長い間逡巡していました。なぜなら私の周囲には、そんな事をしている人がいなかったし、寄付をするなら他の事にお金を使った方がいいんじゃないか、貯金した方がいいんじゃないか、生きている間に状況を改善する事は出来ないのではないか、寄付をする事が本当に徳積みになり人生を好転させる事が出来るのか、運命を改善するには他にも方法があるのではないか、今は不運でも人生の後半に幸せが用意されているのではないか…と迷い、寄付以外の色々な事を試したりして、一歩を踏み出す事が長い間出来ませんでした。

反面、自分は何故こういう境遇なのだろうか?なぜこんなにも悲しい事や苦しい事が多く、前向きに生きているのに厳しい状況に追い込まれてしまうのだろうか?スイスイと楽しそうに生きて、当たり前の幸せを手に入れている人と、悩みや悲しみや苦しみが多い私の人生はいったい何が違うのだろうか?なぜ、なぜ、なぜ?という疑問が常にありました。どこにも答えはありませんでしたが、ぼんやりと頭に浮かんだのは、私は何か大きな罪を、この世に生まれて来る前にしでかしたのではないか?という事でした。だとしたら前世の罪はどうやって償うのか?手探りで色々な事を試しましたが、どれも手応えがありませんでした。私はずっとこうなのだろうか?と自分の人生を嘆き、ほとほと生きているのが嫌になっていました。そういう時期に更にとどめを刺すような出来事がありました。本当に私は徳がないのだ…と思い知らされる出来事です。本当に落ち込みました。私は何のために生まれてきたのだろうか?これから何を目標に生きていけばいいのか?と気力も尽きてしまい、生きて行くには何か自分を鼓舞させる行動が必要でした。自分は幸せではないけれど、何とか仕事をして生活している…。だから困っている方を助けるため毎月寄付をして、働く事に自分の生活費を得るためという目的以外の意味をもたせたいと思いました。お金を毎月寄付する…というのはかなりの決断が必要でした。しかし何もかもうまくいかない私の人生も、寄付をする事でほんのちょっと有意義になると思いました。そこで国境なき医師団とWFPの母子栄養支援に毎月の寄付を開始しました。それから数年たち、現在はPLAS(AIDS孤児支援)や地元のホームレス支援団体にも寄付や物資の支援を行っています。当ブログの他の記事にも書いている通り、寄付を始めてから、仕事に毎日の生活に人間関係に様々な変化がありました。寄付をしてお金が減るはずなのに、経済的にも豊かになっていきました。命を救う活動をしている団体に寄付をする事により、前世の罪を少しづつ許して頂いたのではないかと思います。そして人を助けると自分のどこかが救われるという、とても理にかなった、当たり前で自然な法則が存在する事を実感しています。

寄付を増やす手続きをした時に、私の体に起こった不思議な出来事

WFPの母子栄養母子栄養支援は1000円で25人に栄養強化食が配布されますが、毎月の寄付額を3000円アップした時の事です。私は仕事などの無理が影響して、半年以上前から腎臓のあたりが腫れているような重苦しい感じがあり、体の中に水分が溜まる症状に苦しんでいました。過去にも同じ状態になった事があり、病院にも行きましたが特に異常はないと言われたので、今回も病院には行きませんでした。いつも飲んでいる漢方薬を飲んでみましたが良くならず、食ベ物に気をつけたり、睡眠時間を長くしたり、残業を減らしてみたりしても重苦しい感じが消えず、座っているのも苦しく、このまま続けば仕事ができなくなるのではないかと不安な気持ちで毎日を過ごしていました。ところが寄付増額の手続きを完了したとたん、すぐに大量の水分が体の外に出て、腎臓のあたりの重苦しい感じが一気に無くなったのです。手続きをしただけで支払いは後日なのに…です。とても不思議な出来事でした。この事から私の体調や命は、寄付を続けて人の命を救う事で、やっと保たれているのだと実感しました。他者を援助した行動が、即座にブーメランのように私に返ってきて、私を救ってくれたのです。目に見えない何かがはたらいているのを感じて何だかゾ〜ッとしました。因果応報の法則を身に沁みて体験したのです。逆に他者を苦しめる行動をすれば、苦しみや不幸がブーメランのように自分に返ってくるでしょう。あなたは他者に救いの手を差し伸べていますか?それとも他者を苦しめる色々な矢を放っていますか?それは全てあなたに返ってきて、あなたが受け取ることになります。この世で受け取り足りなければ、来世でも「果」か「苦」を延々と受け取る事になるでしょう。この世からいなくなっても、神様は帳消しにはしてくれないようです。人の命を救う事はとても尊い行為であるとともに、救った本人をも救うのです。逆に人を傷つけたり命を奪う事がどれだけ罪深いか、人を傷つけた本人にどんな報いがあるか…推して知るべしですね。人一人の命を奪うということは、一人の命にとどまりません。生きていれば結婚し生まれるはずだった子孫の命をも奪っているのです。この先も続くはずだった命の流れを止めてしまう事は、どれだけ多くの「不徳」を積むでしょうか。その報いは計り知れません。私の家系が子孫が繁栄しにくい傾向がある事も、不徳を積んだ報いなのかもしれません。この世で人を傷つけたり、盗みをはたらいたり、嘘をついて人を騙したり、他人の物を破壊したり、世の中に迷惑をかけたりして不徳を積めば、今後の人生も、来世でも、本人だけでなく子孫に至るまで多くの苦しみが待っているでしょう。世の中の動きを見ていると、悪事を働いて逃亡しても、結果的に体調を崩したり、病気になるケースが多いように感じます。法的に裁かれなくても、誰にもバレなくても、因果応報の法則からは逃れる事は出来ないのです。この世で新しい罪を作る事は愚かな事です。心を正しく持って、不徳を積むような事をせず、微力であっても世の中のためになる事をして生きていきたいですね。

君ができる限り ジョン・ウェズリー(イギリスの神学者 1703ー1791)

君ができるすべての善を行え、

君ができるすべての手段で、

君ができるすべての方法で、

君ができるすべての場所で、

君ができるすべての時に、

君ができるすべての人に、

君ができる限り。

【原文】

Do all the good you can,

By all the means you can,

In all the ways you can,

In all the places you can,

In all the times you can,

To all the people you can,

As long as you can.

引用元:名言の智恵 人生の智恵 谷沢永一

こういう人を助けたい、こんな事で世の中に貢献したいなど、人それぞれの環境や経験、能力により善行を行う内容や、対象は違うでしょう。心に湧き上がる事、自分に縁のある事、無理なくできる事が、知らず知らずに積んだ罪の償いになるのかも知れませんね。

仁を積むための八則 

鎌田 柳泓(かまた りゅうおう 日本の医師・心学者 1754ー1821)

一、第一に怒りの心を断つべし。

一、第二に誹謗の言(ことば)を出すべからず。

一、第三に驕慢の心を断つべし。

一、第四に妄り(みだり)に財宝を費やすべからず。

一、第五に人に交わる時 常に顔色を柔和にすべし。

一、第六に言(ことば)を謹んで妄り(みだり)に悪口(あっこう)などすべからず。

一、第七に若(もし)家に害なき所の財宝あらば貧者または乞食などに施すべし。

一、第八に物の命を惜しむべし。

引用元:名言の智恵 人生の智恵 谷沢永一

仁とは何か?中国思想における徳の一つで、孔子がその中心に据えた倫理規定であり、人間関係の基本、人を愛する事…などとありました。300年前であっても、人間関係を良好に保つ秘訣は現代と変わらないようです。怒りの心を断つのはなかなか難しいかもしれませんが、カーッとなって鋭い言葉を発しそうになったら一瞬飲み込んで、そのままストレートに怒りをぶつけたらどうなるかシュミレーションしてみましょう。深呼吸して心を沈め、別な方法でアプローチする方が結果的に良い方向に進む事が多いのではないでしょうか。心の持ち方、他者への接し方、お金の使い方、命の大切さがこの文章に凝縮されています。心、ことば、態度でも不徳を積まずに、人間として成長していきたいですね。

レフ・トルストイ(ロシアの小説家・思想家)

他人の不幸の上に、自分の不幸を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ。

人生の唯一の意義は、人のために生きることである。

よい人間とは、自分の罪をいつまでも忘れないで、自分の善行をすぐに忘れる者のことである。わるい人間とはその反対に、自分の善行をいつまでも忘れないで、自分の罪はすぐに忘れる者のことである。自分を許すな。そうすれば、容易に他人を許す事ができよう。

出典:https://iyashitour.com/archives/24572

他人の不幸の上に自分の幸福を築けば、その幸福は長くは続かないでしょう。空洞だらけの石垣の上に建つ城のように、ちょっとした変化や刺激で、ある日突然ガラガラと崩れ落ちるでしょう。他人も自分も幸福になるよう、物事を進めたいですね。人のために生きるとは自己犠牲ではありません。自分のためだけに生きるより、誰かのために生きる方が、はるかに人生が豊かになり、人として成長出来るでしょう。私は自分の不幸や悲しみを脇において、困っている人のために寄付をしたり、地域の問題に取り組み始めた時、自分の問題がとても小さく感じ、あまり気にならなくなりました。そして今までとても狭い殻の中に居たのだと気づきました。そして不思議なことに、大切なお金や時間を人のために使うことで、私自身の悩みがいつの間にか解決し、自然な流れでいつの間にか希望が叶ってしまうという体験を数々しています。家族のため、世の中の困っている人のため…など対象は違っても自分以外の誰かのために生きる事が、実はその人の人生を豊かに有意義にするのだと思います。大げさな目標を立てなくても、身近な人のちょっとした願いを叶える手伝いをする事も、人のための行動だと思います。世の中には様々な問題が山積しています。博愛に生きる、地域のために何かの行動を開始する、ボランティア団体に加入し活動するなど、一歩を踏み出すと新しい世界が開けて、心も充実すると思います。

因果応報の法則は個人だけでなく、家族、親族、法人、団体、国にも当てはまると思います。人々や世の中に対して益がある事をしたり、援助したり、役立つ事をしたら、相応する「果」を、人を傷つけたり、他者、他地域に不利益を与える行為をしたら、相応する「苦」が与えられるのだと思います。トップの判断が世の中に対して善でなく悪なら「不徳」を積む事になり、思いもよらない問題が頻繁するなどの「苦」が与えられるでしょう。

トップが身を滅ぼす十の過ち 韓非士(中国戦国時代の思想家 紀元前233年没)

一に曰く、小忠を行う則ち大忠の賊なり。

ニに曰く、小利を顧みるは則ち大利の残なり。

三に曰く、行いを僻にして自ら用い、諸候に無礼なるは、則ち身を滅ぼすの至りなり。

四に曰く、治を聴くに務めず、而(しこう)して五音(ごいん)を好むは、則ち身を窮(くる)しむの事なり。

五に曰く、貪愎(たんぷく)にして利を喜ぶは、則ち国を滅ぼし身を殺すの本なり。

六に曰く、女楽(じょがく)に耽り、国政を顧みざるは、則ち国を滅ぼすの禍(わざわい)なり。

七に曰く、内を離れ遠く遊び、而(しこう)して諫士(かんし)を忽(ゆるが)せにするは、則ち身を危うくするの道なり。

八に曰く、過ちて忠臣に聴かず、而(しこう)して独りその意を行うは、則ち高名を滅ぼし、人の笑いと偽るの始めなり。

九に曰く、内、力を量らず、外、諸侯を恃(たの)むは、則ち国を削る患(うれえ)なり。

十に曰く、国小さくして礼なく、諫臣を用いざるは、則ち世を絶つの勢いなり。

【意訳】

一、小さな忠義にこだわって大きな忠義を失う。

ニ、小さな利益にとらわれて大きな利益をそこなう。

三、行いが気ままで人の言うことを聞かず、諸侯に無礼を働いて身を滅ぼす。

四、政治をそっちのけにして音楽などに熱中し、自分を苦境に追い込む。

五、欲に目がくらんで利益ばかりを追求して国も自分の身もともに滅ぼしてしまう。

六、女の鼓舞に熱中し国政を顧みなくなって国を滅ぼす。

七、国を離れて遠方に遊び部下の楝言にも耳をかさなくなって身を危うくする。

八、過ちに対する忠臣の意見を聞き入れず、あくまで意地を通そうとしてせっかくの名声を失い、世間のもの笑いに成る。

九、自分の力をわきまえず、周りの国の力をアテにして、国を削られてしまう。

十、小国のくせに他国に無礼をはたらき、部下の楝言に耳をかさなくなって地位をもちこたえられなくなる。

引用元:明言の智恵 人生の智恵 谷沢永一

トップの座につく人は、自分の判断に時には疑いを持ち、部下の箴言に耳を傾け、独断独行にならぬよう、常に自分を律する必要があるのではないでしょうか?トップが舵取りを誤れば、会社や国は取り返しがつかない方向に突き進んでしまいます。この文章は驚くべきことに紀元前に書かれたようですが、トップが自分の力を認識し、意地や無理を通さず、周囲の意見をよく聞く大切さを訴えていますね。はるか昔から、人の上に立つ人の心得や陥りがちな過ちは変わらないのですね。

現代は気候変動や天変地異、未知のウイルスやエネルギー問題、食料問題など、世界的に問題が山積しています。国の境なく人智を結集して取り組まなければいけないのではないでしょうか。問題を解決するよう努力している側には相応する「果」が、問題を大きくしている側には「苦」が与えられるでしょう。因果応報のブーメランは誰にも公平に返ってくるのです。

徳積みに取り組んでいるけれど、自分の徳の量はどのぐらいなのかと考えた事はないでしょうか?そんな時に、参考になるのが、マズローの欲求五段階説です。マズローはアメリカの心理学者。「人間はより質の高い欲求を求めて成長しようとする存在である」とする自己実現の理論、「欲求5段階説」を唱えました。

  • 〔第一段階 生理的欲求〕呼吸、食事、排泄、睡眠など生理的欲求。
  • 〔第二段階 安全欲求〕安心、安全に暮らしたい、雇用の安定、健康、財産などの欲求。
  • 〔第三段階 親和の欲求〕友情、家族などの愛情欲求、どこかに所属したいという所属欲求、社会的欲求。
  • 〔第四段階 自我の欲求〕他人から尊敬、承認されたい、自尊心を持ちたいなどの欲求。
  • 〔第五段階 自己実現の欲求〕こうなりたい、ああなりたいなど、自己実現欲求。

第一段階は生きていくのに最低限必要な欲求、第二段階は仕事が安定し経済的にも困っておらず健康で安心して暮らせている状態、第三段階は第二段階までの欲求を満たし、家族やパートナーを得て、愛情欲求や所属欲求が満たされている状態、第四段階は人格や能力を認められて周囲から尊敬されている状態、第五段階は第四段階までの欲求を満たし、自己実現を果たしている状態。才能があり、仲間がいて、お互いを認め合い、何かを発明したりして世の中に貢献している方なら、第五段階の欲求を満たしているのではないでしょうか?私は寄付をして徳積みして、やっと健康を保っているので第一段階ぐらいですね。それぞれの段階の欲望を満たすには相応する徳が必要で、段階が上がるごとに必要な徳の量は増えていくのだと思います。現在の自分の状況から、どの段階にいるか想像がつくのではないでしょうか?例えば職場には色々な方がいます。何年経っても仕事が覚えられず、周囲に負担をかけている人。仕事の覚えが早く、能力を認められて、入社後短期間で指導する立場になる人。部下をまとめて会社全体を牽引し、取引先からの信頼も厚い人。欲望の五段階説は、徳に関する理論ではありませんが、自己実現をしていくには、通常の努力の他に、もっている徳の量が大きく関係しているように思います。昔の人は「人の世話は買ってでもせよ」と言いましたが、自分を含めて周囲を観察していると、人の世話をしたり、指導したり、育てたりする事は、ある程度の徳がある人でないと出来ない事だと思います。他者の世話をする事は高度な徳積みで、徳が少ないとそういう機会には恵まれません。人のお世話をする機会があれば、積極的に心を込めてお世話をするといいでしょう。大事な時に繰り返しアクシデントに見舞われる方は、自分の過去や前世で何らかの原因を作ったのかも知れません。徳積みを意識して開始すると何かが変わるかも知れませんね。私は半世紀以上生きているのに、第一段階の徳しかもっていないようで情けないですが、もって生まれた徳の量は人それぞれなので、腐らずに今後も徳積みを続けていきたいと思います。現世では生きているのがやっとで友人も少ない、自信がもてる能力も特技もないと嘆いている方でも、通常の努力+徳積みで現世、来世の運命を改善出来るのです。不徳を積まず「苦」を受けとめて前世の罪を償い、楽しく善行を積み重ねて、来世には徳のお土産をもって生まれたいですね。

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ふわり
働く独身女性です。子供なし。趣味は旅行。食べる事。散歩。写真。年齢:半世紀+?。若い頃から自分の人生何か変だと感じて色々な開運方法を試すが効果なし。営業職をしていた時に、寄付により一時的に成績が上がる事を経験。仕事が営業でない場合、寄付の効果はどのように現れるのか疑問に思いながらも、転職や実家を出た事、将来への不安から、寄付をやめて10数年経過。その間目一杯頑張っているにも関わらず、仕事ではクレームを頻発させて、上司からも評価低く、精神状態ぎりぎりで頑張る日々が続く。そんな中さらに追い打ちをかける出来事があり、自分は何もしていないのに、誤解から仲の良かった同僚から距離を置かれてしまう事に。仕事もプライベートも真面目に前向きに頑張っているにも関わらず、全ての事がマイナスの方向にばかり向いてしまう状況に、徳がない自分が原因では?との思いから徳を積む事を決意。徳積みについて読んでいた本に、本当に徳が無い人は最初の徳を積むチャンスさえ無いという記述があったのを思い出し、一人暮らしで誰の世話もしていない私は、毎日の生活の中で自然に徳を積めていないと実感。そこで2団体に毎月の寄付を開始。すると年月の経過と共に自分と周囲に劇的な変化が起こってきた。まずクレームを出す回数が激減、職場環境や収入が改善され、職場全体がレベルアップした。旅行に行く機会が増えるなど新しい世界が開け、頭を悩ませていた苦しみが徐々に減っていった。自分自身の思考の間違いに気づいたり、生活習慣を改善するなど内面の変化も多く得られた。不運を改善するには自分のお金や労力、時間を人の命を救ったり、不便を解消する事に使う事が必要だと実感。徳を積む事で、ただ真面目に頑張るのとは違う、色々なミラクルが起こる事に気づく。徳積みは他人も自分も幸せになる素晴らしい事。もっと早く知っていれば、もっと早く寄付や徳積みを意識した行動を開始し継続していれば違う人生を歩んでいたかもしれない…。だから…苦しみがつづいている人には徳積みをできるだけ早く始めて欲しい。そんな気持ちでこのブログを開設。家族や他人、世の中に尽くし陰徳を積む事で自分の苦しみが軽減される事を多くの方に知って頂きたい。今後も徳積みについて新たな発見があれば記事にしていきます。 旅の情報と、旅行先でコインロッカー探しをした経験からコインロッカー情報も掲載。 皆様のお役にたてれば幸いです。